佐渡の美味い酒、美味いモンを「私、熱燗小僧」がお届けします ただし、二十歳に満たない方へお酒は売りません

皆さんこんにちは、伊藤酒店の伊藤俊二です。
私の今日までの略歴を話させていただきます。それでは…
 昭和35年2月17日、新潟県佐渡郡相川町水金町に 小杉雄二・和子の
二男として生まれる。両親は羽田町で 写真店を営み、昭和50年頃までの夏
のシーズンは観光客 で夜遅くまで賑やかでした。  厳格な父親、優しい母
親に育てられた私は小学校時代は 習字を習わされ、塾のほかに自宅でも父
からの特訓を強い られる。夏休みはラジオ体操前から叩き起こされ兄と机
の 前で筆を持たされたものです。ふざけたり手を抜くと細長 い文鎮で頭を
ゴツンとやられました。
 4年生から水泳を始 め、5年生では歴史と伝統を誇る新潟県立相川高等
学校水 泳部顧問市野重治先生の提案による小中高合同合宿に参加 し、泳ぐ
ことの楽しさと高校生の圧倒的なパワーと泳力に 衝撃を受ける。以来、水
泳にのめりこみ特別居残り合宿に も参加。その結果、中学時代には全国大
会へ市野先生の引 率により出場を果たす。
 高校卒業後写真の大学に入学するも、1年生の終わりこ ろ生で見たプロ
レスに衝撃を受け、レスラーを目指すこと を心に決める。同郷で同学年の
仲間とトレーニングを始め 新日本プロレスの山本勝氏に入門許可を願い出
るが門前払 い。何度もお願いをした結果、通いでの新日本プロレス合 同練
習に混ぜてもらい、練習についていけるようになり合 否の判定を仰ぐため
福岡の試合会場まで夜行を乗り継いで 行き、最後の直談判。その場で山本
氏から合宿所に入ること を許される。
 昭和55年二十歳での入門から5年間、激動の80年代と 言われ、いろ
いろな事がありました。昭和60年第1回ヤン グライオンズ杯では優勝し
たものの心身の不調による限界を 感じ28歳で帰郷。
 実家の写真店を手伝い…どういう訳か酒 販店の娘と恋に落ち?現在に至
る。んーーん。人生何が起こる か分からんもんですわ。
 

 次に、私と酒に係わる四つの縁をお話します

第一の縁  
 私の実家は写真屋ですが、私の母の実家が相川の姫津とい う漁師集落で
昭和40年ころまで造り酒屋を営んでおりまし た。代表銘柄は「尖閣・姫の
森」です。小さい頃蔵に入った時、 なんとなーく酒蔵の匂いがしたのを覚
えております。で、今私がこうして日本酒を販売しておる事実。酒からは逃
れら れない第一の縁です。

 第二の縁
 戦後シベリア抑留から引き上げて来られた市野重治先生が相川高等学校
で水泳部を興し、名選手を次々に全国大会に送 り出すと地元相川では水泳
部後援会が発足。その初代会長が ここ伊藤酒店の伊藤豊吉です。
 妻幸子は孫にあたります。市 野重治先生監修の「相高水泳史」が発刊さ
れた時、すでに亡 くなっていた伊藤豊吉宛に送られてきました。妻に訊い
たら 初代後援会会長だったという事を知らされこれまたビックリ。
 縁ですねー。
ちなみに1968年メキシコオリンピックには 相川高校水泳部出身の
伊藤勝二さんが1500m自由形に出場

 そして第三の縁
 私が結婚し、今の仕事である酒屋の配達を手伝うようになった 冬場、
当時4月から11月までが観光シーズンでそれ以降はオフ。
 体は暇を持て余しており、そんな時ふと考えました。
1992年 頃の話です。「酒の仕事をしとるんだったら酒造りの現場くら
いは 見て体験して知っておかねば」と。そしてどこの酒蔵へ行こうかと思
案し選んだのが真稜逸見酒造さんでした。社長さんの感じが 何となくいい
なと思いまして。そこで一人の男性と出会います。その方からは更に深い
深い日本酒の歴史から今の日本酒の状況などを教えていただき、福井県山形
県の酒蔵にも連れて行っていただき酒造りの生の現場を見せていただきまし
た。
 その方は昭和の終わりからここ逸見酒造へ来て技術的なアドバイスをし、
他の酒 蔵を回って指導をしながら執筆活動を同時に行う方でした。ある年
のお別れ際に「この酒をぬる燗で飲んでみなさい」と一本の純 米酒をいた
だきました。その頃の私の知識としては純米酒など「良い酒」は冷やで飲
むものと思い込んでおり、半信半疑で燗して飲んだところ…頭を撃ち抜かれ
たのです。
「今まで酒は仕事で飲んで はおったものの美味しいとは思わんかった。
 だけどこんなおいし い酒は初めてだ。こんな美味しい酒があるんなら
 何とかして広め たい。佐渡ンもんにも飲んでもらいたい。でも、どうし
 てあの人 は私にそこまでしてくれるんだろう。」と、
後で聞くと実は私の プロレスラー時代の事をよくご存じで、ただの一ファン
とは言えないくらいプロレスの事には詳しい方だったんです。その人はとに
かく私に会うのが楽しみだったようでそのために毎年佐渡の酒蔵に足を運ん
だようなもの。と、それは言い過ぎかもしれません。
 その方から今取引をしている新潟県外の個性ある酒をご紹介いただいき
現在に至ります。
 これが私がプロレスラーであった事、逸見酒造を酒造り研修の場に選んだ
事がきっかけとなった第三の縁です。

 最後に
 第四の縁
 日本酒の会を続けていくうちにその名称が「純米酒の会」から 「チョッ
と一杯の会」へ、そして今では「熱燗小僧の会」となりまし た。日本酒に
対する思いの非常に強い「熱燗小僧」の方々に支えられ て酒の会を開いて
おります。そしてこれからも熱燗小僧たちは強い 絆で結ばれ形を変えなが
ら酒の会を開き、更にメンバーを増やしていきます。
 
 これらの縁に支えられながら今、私たちは酒の販売を続け
2009年11月からスタートした惣菜部をかあちゃんと二人でや って
おります。惣菜部は近所のお年寄り、ひとり暮らしの方々を中 心にご利用
いただいておりまして、皆さん「美味しい」「おらちゃ の口に合う味」と
好評をいただく次第です。これからも伊藤酒店を よろしくお願いいたしま
す。
以上が自己紹介でした