佐渡の美味い酒、美味いモンを「私、熱燗小僧」がお届けします ただし、二十歳に満たない方へお酒は売りません

 酒の戦後、未だ終わらず

 ようこそ佐渡が島へ
ところで皆さん、お酒を飲んだ翌日、頭が痛くなったり朝起きるのが辛かったり・・・・・・
そんな事ありませんか?
大昔から米を食べてきた日本人の体に一番合うお酒、それが日本酒の筈なのに? こ・れ・は
恐らくいろんな混ぜ物が入った酒を日本酒と勘違いして飲んだからじゃないでしょうか。
思いあたる節がありませんか?
日本酒とは今で言う「純米酒」の事です。米と水を原材料にして微生物の力を借りて醸した酒
これこそが日本酒であり
日本人の体に自然に馴染む酒。と、私は感じております。

「日本酒は苦手」と思っておられる方、どうぞ米と水だけを原材料にした酒、純米酒をお燗して
やってみてください。
 
では、本題に入ります。
 
戦後、半世紀以上が過ぎゼロからスタートした日本は目覚しい発展を遂げ先進国の仲間入りを
果たしました。
テレビ、エアコンを初めとする家電製品、自動車、精密機械などなど製造の分野では世界の
トップレベルにある日本国です。
しかし、醸造の分野はというと・・・未だ戦後の物不足によるところの恩恵を蒙っています。
当時、米不足による酒の絶対量確保や伝統文化継承のため暫定的に行なわれのがアルコールや
糖類の添加などです。
そうすることで日本の酒は絶滅の危機を乗り越えることが出来たのです。
 でも、救済措置として行なわれた筈の行為が未だに恒常的に行なわれている現状をどう考えたら
いいのでしょうか。
しかもその行為が酒の味を良くするというような謳い文句まで見受けられます。
 本来、日本酒は米と水を原料に微生物の働きによって醸し出される物であり、いろんな物の
添加によって造り出される物では無い筈です。
しかも今の世の中、米はある道具は揃う、確かな腕もある筈。なのにどうしてこんな事になるのか。
 
 第一に造り手側に何かが欠けているのではないのか。
そこに欠けているのは大部分の蔵元さんの蔵元としてのプライドではないでしょうか。
日本文化の一つでもある日本酒造りに携わりながら、その実は机上のそろばん勘定だけで文化の
担い手の顔をしているということ。
そんな蔵元が堂々と町を闊歩している。コレでは日本酒が文化として認められる筈がありません。
現に日本人の日本酒離れには
歯止めがかからない状態です。
 大切な事は、基本に立ち帰りそこに現代の技術を加え本来の本来の日本酒を先ず日本人に飲んで
もらえるようにすることです。
それは「日本酒らしい日本酒」であり決して「ワインのような日本酒」であってはならないのです。
お燗したワイン皆さん飲めますか。
 日本酒はいろんな温度帯で楽しめますが、何といってもお燗することで本来の美味さを発揮します。
それが本当の日本酒だと私は信じています。また、純米酒と、アルコールや糖類を添加した
その他の酒をごちゃ混ぜにして「ハイ、お酒でございます」じゃあ一所懸命純米酒を造っている
杜氏さんを初め蔵人さんたちに対してあまりにも無神経すぎます。
蔵元さんお願いします。
 
 第二に売り手側、飲み手側に問題があったのでは・・・
今度は自分たち売り手側に目を向けると、ヤッパリ売り手としてのプライドに欠けていたように
思います。
伝統文化だということは分っていても、安く仕入れて他の店より安く売れれば何でもいい、
量を多く売れば何でもいいという
考えがあったり、口に入ればいい、酔えれば何でもいいという消費者がいたわけです。
このような経緯から今、
日本酒は存亡の危機に立たされています。コレは決して大げさなことではありません。
若者はビール・チューハイなどにどんどんと流れています。そうです非常ベルが鳴っているのです。
しかし、世の中まんざらすてたもんじゃありません。
本来の日本酒=純米酒を皆さんに知ってもらおう、飲んでもらおうと各地の元気な蔵元は純米酒
片手に「飲み会」があれば飛んで行き、蔵元同士の交流会があればそこで技術者を交えて意見を交わす。
ということを盛んに行なっています。
これは衰退した日本酒文化を復興するには一にも二にも自らが原点に戻り、技術を磨いて本来の日本酒
純米酒を一人でも多くの人に知ってもらうしかない。という考えの表れです。
遅れ馳せながら私自身もこの事に目覚め「これからは純米酒だ」と感じています。純米酒こそが本来の
日本酒となり更に良い日本酒文化が発展していくことを願って、これからは純米酒を一所懸命造っている
蔵を精一杯応援していきます。
 
一発勝負の純米酒。
誤魔化しが効かないのが純米酒。